宗谷岬
私は、6月の末に宗谷に行ったことがあります。
札幌ツアーで人気の札幌ではひと月も前にライラックの花がさき、すでに初夏の花々が原野や森をうずまいているのに、宗谷はまだ緑が去年の枯草の中に沈んだままでした。
雪解けの匂いのしそうな風が、棘々しいハマナスの枝を吹いていたものです。
訊ねてみると、風景が緑になるのは7月で、9月の末にはもう霜がやってくる、ここで完全な緑の季節は僅か3ヵ月だというのでした。
「七月の初めだと言うのに、窓外の風景は冬のように暗麗である。
風景ばかりではない。
気温も到底初夏とは思えない。
汗は全く出ない。
窓を開けていると、首に当る風が冷たく感じられるくらいだ」。
・・・井上靖はその作品『魔の季節』の中で、宗谷の夏を描いています。
宗谷の夏は何か悲しくわびしいものです。
かえって流氷が寄せて、まぶしく白銀に輝く真冬の頃の方が、陽が照っていれば目を細めさせるものがあります。
この岬はしかし、ここまで来る途中の、人間の愛やあたたかさを一度も経験したことのない、非情な湿原や砂丘とはちがって、意外なほと人間の悲しみももろさも、吸いつくしている風景なのです。
しかし、その痕跡も今はすっかり風雪に荒れはてて、そんなことがあったかしらというように見えます。
文化3年(1806)、露兵が、当時北蝦夷と呼んだサハリンの、日本人漁場を荒しました。
その頃宗谷の岬はサハリンへの渡り口であったので、津軽と会津の藩士たちがこの地の警戒に当たりました。
北の生活になれない藩士たちは、次々と壊血病に塊れ、空しくこの凍土の下に骨をうずめました。
宗谷の護国寺跡にはその藩士たちの墓石が、風化して残っています。
ここに場所の開設されたのは、貞亨年間(1684~1688)といわれています。